綿製品の柄付けや模様付けに最適
藍+形染めで大躍進を遂げた染織産業

 藍玉の増産で多くの市民に普及した藍染めですが、しかしそこで新たな課題が浮かび上がります。服装に個性を求めるのは、今も昔も人の世の常。元来、藍の濃淡だけだった質素な藍染めの衣類も、成熟する商品市場の渦中にあってはデザイン上の差別化が欠かせません。そのニーズに応えたのが、手軽に多彩な柄や模様の布地を大量に生産できる「形(型)染め」という染色技法でした。
 染形紙による上質でバリエーションに富んだテキスタイルデザインを得たことで、藍染めの衣類は日本中を席巻することになるのです。

歌川広重「名所江戸百景」のうち『神田紺屋町』
出典:国立国会図書館デジタルコレクション

全国各地で栄えた「紺屋町」
日本中を碧く染め上げた藍染め

 この藍と染形紙を使って実際に布地を染め上げるのが染物屋ですが、当時はいわゆる“染め物”の大半を藍染めが占めていたため、江戸時代の染物屋は一般に「紺屋」と呼ばれていました。その用途は衣類に留まらず、のれん、前掛け、手ぬぐい、足袋、風呂敷など、日常生活で使用する布製品全般に普及。また、明治以降も大正中期まで国鉄や郵便局の制服に藍染めの布が使用されました。
 染色業がいかに重要な産業であったのかは、全国各地に残る地名からも分かります。右図のように日本中の城下町や主要都市には必ず「紺屋町」があったといわれるほど染色業者が分布。これら日本中の紺屋が、人々の装いを藍色に染め上げたのです。

日本人に愛された国民色「藍」 「藍染め」を豊かに彩った形染め